Gallery Exhibition

フマコンテンポラリートーキョー | 文京アートでは井田大介立体展 'Viewpoint of God' を開催致します。互いに拳銃を向け合うダーウィンとキリスト。これは、一神教と多神教、宗教と科学について表現した彫刻作品である。物事の表裏にある概念とそれに伴う変化を追及し、人間の普遍的な精神性を描き出している。主題の選定やストーリーの構築に作家の類まれなる感性が発揮される秀作5点を展示予定。是非、ご高覧頂きますようご案内申し上げます。
 
 
Daisuke Ida 'Viewpoint of God'

■ 会期・時間  2015.9.1(火) - 9.16(水) | 日・月休廊 | OPEN 11:00 - 18:30
■ 会場 FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ART
 
 
井田大介 リアリズムの根拠
藤井匡/東京造形大学准教授

《Viewpoint of God》(2015)を単純に記述するならば怖ろしく陳腐な話になる。イエス・キリストとチャールズ・ダーウィンが拳銃を突きつけ合っている。神学と啓蒙思想の対立といった図像を補足説明する言葉を足したところでその陳腐さを補強するだけに過ぎない。井田大介の彫刻の問題はそこにはないからである。彼の作品はこの二項対立の背後で両者が共有しているものに対する感情複合によって成立している。それは彼の抱えるリアリズム(写実主義=実在論)に関わる問題である。
 最近のテクノロジーである3Dプリンタや伝統的に用いられてきた星取り法といった複製技術の導入も、それ自体は重要な話ではない。事実、それらは彫刻家の手によるオーソドックスな塑造技法と併用されている。重要なのはむしろ、様々な技法を使用することを躊躇させない、彼のリアリズムに対する意思の方である。
 井田の抱えるリアリズムの問題は複雑に入り組んでいる。そのひとつとして、写実と写生というふたつの概念の複雑さ(曖昧さ)が挙げられる。それは、マーティン・ジェイが「近代性における複数の「視の制度」」で指摘した、リアリズム(デカルト哲学)とナチュラリズム(ベーコン哲学)の差異に近似する。作品に即していえば、井田が自身の手を通して造形した頭部をリアリズム、3Dプリンタを用いた胴体をナチュラリズムに該当させることができるかもしれない。だが、それでもやはり、井田自身の問題は日本の近代彫刻の歴史の中で理解すべき性質のものと思われる。
 彫刻という言葉が現在のようにジャンルの意味で用いられるようになるのは、工部美術学校の開校時(1876)とされている。そこでの意味は「石膏ヲ以テ各種ノ物形ヲ模造スル」というものだった。しかしながら、高村光太郎が「彫刻十個条」(1926)において「似せしめんと思ふ勿れ」「通俗的肖似をむしろ恥ぢよ」と主張したことに代表されるように、その意味は後の歴史の中で抑圧されていく。この文脈における写実とは、彫刻自体に生命を与えることだと考えられたのだ。
 だが、近年になって、そうした価値観にも変化が生じてきた。展覧会『日本彫刻の近代』(2007)において、その歴史の冒頭に位置づけられたのは初代宮川香山(陶芸)、鈴木長吉(金工)、旭玉山(牙彫)といった、これまで置物と見なされてきたものである。再現性を極端なかたちで追求した、松本喜三郎や安本亀八による生人形や安藤緑山による着彩牙彫の再評価なども一連の動向と捉えることができる。この変化を抑圧されたもの(写生)の回帰と呼ぶことができるのかもしれない。こうした時代状況の中に井田もいるのである。
 井田の仕事をマウリツィオ・カテランやマーク・ウォリンジャーといった海外のアーティストの仕事と比較して考察することは当然のことながら必要である。ただし、それだけでは井田の引き裂かれた立ち位置を理解することはできない。彼は日本の彫刻教育の中に身を置き、その特質と限界を考察することから出発している。あえて言うならば、それは彫刻とsculptureというふたつの概念の差異を発掘することから始まる仕事なのだ。その問題の中心にリアリズムが位置するのである。
 そもそも、リアリズムが成立するためには、その姿を模倣するだけの価値をもった対象が実在しなければならない。だが、現在の私たちはそうした対象を所有しているだろうか。この問いを省略したときに冒頭の陳腐さが発生する。抑圧されたものの回帰の中に安住するならば、写生と写実という二つの言葉は混乱したまま用いられ続けられる。リアリズムの根拠に関する問題は手つかずのままに放置されることになる。
 こうした考察の延長上に、八咫鏡(八稜鏡)をモチーフとした《The mirror》(2015)を接続することができる。神人同形であるギリシャやローマの神々とは異なり、神道の神々は――仏教の影響の強い時代を除いて――人間の姿で表象されることはない。鏡や剣や玉といった神の用いる道具に対して敬意が払われるに過ぎない。それは現在の分類体系では彫刻ではなく工芸に含まれるものである。基調となるのは、神の実在ではなく不在なのだ(その不在は《The mirror》において輪郭線のみという記号的表現で反復される)。似姿をつくることが最初から不可能であるがゆえに、ここにはリアリズムが生まれてくる素地がない。重要なのは、キリストとダーウィンとの差異ではなく、その両者と八咫鏡との差異なのだ。
 考察を深化させていく中で井田が発見したのは、日本におけるリアリズムの無根拠さである。あるいはそれを「表徴の帝国」の遺産と呼ぶことができるかもしれない。そのことが《Viewpoint of God》について語るための出発点を与える。抑圧されたものの回帰が蔓延する現状に対抗する視点を、リアリズムの成立が困難な文脈の中で導き出すこと。矛盾とも呼べる状況を自身の課題として引き受ける姿勢が井田をリアリズムへと駆り立てる。


井田大介
1987 鳥取生まれ
2013 東京芸術大学美術学部彫刻科 卒業
2015 東京芸術大学大学院美術研究科 修了
2012 アートフェア東京 (東京国際フォーラム)
2013 東京芸術大学卒業制作展 (東京都美術館)
2013 素材とその手触り展/Material and Texture (MaxMara 銀座)
2013 画廊の夜会 (番町画廊 銀座)
2013 設計・製造ソリューション展 (cmet 東京ビッグサイト) 
2013 銀座 彫刻博覧会 (ESTNATION 銀座)
2014 アートミーツアーキテクチャーコンペティション 最優秀賞
2015 東京芸術大学大学院修了制作展
2015 個展 井田大介 -NOWHERE- (米子市美術館)
2015 第2回CAF賞 入選
 
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